2020年05月
おはようございます。
さくらです。
京都のイベントはまだもうちょっと
再開されないようなので
土日はしばらくここ道の駅「近江母の郷」で
販売です。
びわ湖湖岸沿いの道の駅で
お天気がいいとツーリングのひとや今流行りのビワイチ
(自転車でびわ湖一周)のひとでにぎやかなんですけどね。
交流館には地元の野菜も豊富にあるので
これをお目当てにくるお客さんも
なんとシルクパウダー入りのラーメンも
お肌に良いのかも
さくらです。
京都のイベントはまだもうちょっと
再開されないようなので
土日はしばらくここ道の駅「近江母の郷」で
販売です。
びわ湖湖岸沿いの道の駅で
お天気がいいとツーリングのひとや今流行りのビワイチ
(自転車でびわ湖一周)のひとでにぎやかなんですけどね。
交流館には地元の野菜も豊富にあるので
これをお目当てにくるお客さんも
なんとシルクパウダー入りのラーメンも
お肌に良いのかも
おはようございます。
さくらです。
今日も敏満寺の歴史のお話。
奈良時代(710~794)に聖武天皇が百済から伝承した
仏教を国家鎮護の中心として奈良に大仏建立したのは
皆さんご存じのお話だと思うのですが、
大仏完成直前に、大仏の前で行われる千灯法会の料田として
水沼荘(大字敏満寺内の田園約30町歩)が天平勝宝3年(751)
に東大寺に寄進され、水沼荘は東大寺の荘園になり、
その荘園図は正倉院に収納されてるみたいです。
荘園図に描かれている水沼池は現在の大門池で、
滋賀県で2番目に古い池だそうです。
左の池が大門池
水沼荘が東大寺の荘園になってから長徳4年(998)頃まで
東大寺との関係が続いて、その間に敏満寺が創建(859~889)され、
より東大寺との関係が長く保たれたようです。
源平合戦で平重衡の兵火で東大寺が消失してしまい、その再建のための
協力を俊乗坊重源が敏満寺に求め、それに応じた敏満寺に仏舎利を納めた
金銅五輪塔を寄進して謝意を表したそうです。
レプリカですが胡宮神社にあります。
どうです?私の住む敏満寺に少し興味出てきました?
胡宮神社には他にも色々お話したいことがあるので
また追々。
さくらです。
今日も敏満寺の歴史のお話。
奈良時代(710~794)に聖武天皇が百済から伝承した
仏教を国家鎮護の中心として奈良に大仏建立したのは
皆さんご存じのお話だと思うのですが、
大仏完成直前に、大仏の前で行われる千灯法会の料田として
水沼荘(大字敏満寺内の田園約30町歩)が天平勝宝3年(751)
に東大寺に寄進され、水沼荘は東大寺の荘園になり、
その荘園図は正倉院に収納されてるみたいです。
荘園図に描かれている水沼池は現在の大門池で、
滋賀県で2番目に古い池だそうです。
左の池が大門池
水沼荘が東大寺の荘園になってから長徳4年(998)頃まで
東大寺との関係が続いて、その間に敏満寺が創建(859~889)され、
より東大寺との関係が長く保たれたようです。
源平合戦で平重衡の兵火で東大寺が消失してしまい、その再建のための
協力を俊乗坊重源が敏満寺に求め、それに応じた敏満寺に仏舎利を納めた
金銅五輪塔を寄進して謝意を表したそうです。
レプリカですが胡宮神社にあります。
どうです?私の住む敏満寺に少し興味出てきました?
胡宮神社には他にも色々お話したいことがあるので
また追々。
おはようございます。
さくらです。
昨日お母さんが焼そばを作るのに
人参をピーラーでそいでいて
私の目の前に人参が落ちてきたので
くれたのかなと思ってパクっと食べたら
お母さんが「さーくーらー」
叱られました・・・・・
単に手が滑っただけだったみたいです
みんなに「さくらが馬になった!」と
言いふらされる始末
気を取り直して今日は地元敏満寺の地名に由来する
「敏満寺」についてのお話。
最近歴女なさくらです。
幻のお寺「敏満寺」は天台宗で創建には色々説があるようで
1、貞観、元慶(858~889)のころ伊吹山太平寺の三修上人(慈証ともいう)
によって創建
2、敏達天皇(572~585)の願いにより開基された
3、用明天皇(585~587)の願いにより道場を建立された
(古い由緒書に記載)
4、太政管通牒には「聖徳太子(593~622)草創の浄場、
慈性上人の径行の仁祠なり」とも記されている
と、どの説にしても神体山を中心とした古くからの霊場
だったことがうかがえます。
永禄5年(1560)9月、浅井長政の兵火にかかり、復興の途上、
元亀3年(1572)3月10日寺領2万3千石の返還を要求した
織田信長と論争があって、焼き討ちを受け廃寺となったようです。
その後、礎石は彦根城の築城にあたり石垣用に運び出されたようです。
彦根城を見る目が変わりますね。
約700年間、法灯ゆらぎ、堂塔48宇余と言われ繁栄を極めた敏満寺は
宝物の一部を残して幻の寺跡となってしまいました。
多賀SAに一部残っているようです。
桜の時期や紅葉の時期に胡宮神社に行くと地元の保存会の皆さんが
いるので詳しいお話が聞けますよ。
さくらです。
昨日お母さんが焼そばを作るのに
人参をピーラーでそいでいて
私の目の前に人参が落ちてきたので
くれたのかなと思ってパクっと食べたら
お母さんが「さーくーらー」
叱られました・・・・・
単に手が滑っただけだったみたいです
みんなに「さくらが馬になった!」と
言いふらされる始末
気を取り直して今日は地元敏満寺の地名に由来する
「敏満寺」についてのお話。
最近歴女なさくらです。
幻のお寺「敏満寺」は天台宗で創建には色々説があるようで
1、貞観、元慶(858~889)のころ伊吹山太平寺の三修上人(慈証ともいう)
によって創建
2、敏達天皇(572~585)の願いにより開基された
3、用明天皇(585~587)の願いにより道場を建立された
(古い由緒書に記載)
4、太政管通牒には「聖徳太子(593~622)草創の浄場、
慈性上人の径行の仁祠なり」とも記されている
と、どの説にしても神体山を中心とした古くからの霊場
だったことがうかがえます。
永禄5年(1560)9月、浅井長政の兵火にかかり、復興の途上、
元亀3年(1572)3月10日寺領2万3千石の返還を要求した
織田信長と論争があって、焼き討ちを受け廃寺となったようです。
その後、礎石は彦根城の築城にあたり石垣用に運び出されたようです。
彦根城を見る目が変わりますね。
約700年間、法灯ゆらぎ、堂塔48宇余と言われ繁栄を極めた敏満寺は
宝物の一部を残して幻の寺跡となってしまいました。
多賀SAに一部残っているようです。
桜の時期や紅葉の時期に胡宮神社に行くと地元の保存会の皆さんが
いるので詳しいお話が聞けますよ。
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