おはようございます。
さくらです。
昨日お母さんが焼そばを作るのに
人参をピーラーでそいでいて
私の目の前に人参が落ちてきたので
くれたのかなと思ってパクっと食べたら

お母さんが「さーくーらー
叱られました・・・・・
単に手が滑っただけだったみたいです
みんなに「さくらが馬になった!」と
言いふらされる始末

気を取り直して今日は地元敏満寺の地名に由来する
「敏満寺」についてのお話。
最近歴女なさくらです。
幻のお寺「敏満寺」は天台宗で創建には色々説があるようで
1、貞観、元慶(858~889)のころ伊吹山太平寺の三修上人(慈証ともいう)
によって創建
2、敏達天皇(572~585)の願いにより開基された
3、用明天皇(585~587)の願いにより道場を建立された
(古い由緒書に記載)
4、太政管通牒には「聖徳太子(593~622)草創の浄場、
慈性上人の径行の仁祠なり」とも記されている

と、どの説にしても神体山を中心とした古くからの霊場
だったことがうかがえます。
永禄5年(1560)9月、浅井長政の兵火にかかり、復興の途上、
元亀3年(1572)3月10日寺領2万3千石の返還を要求した
織田信長と論争があって、焼き討ちを受け廃寺となったようです。
その後、礎石は彦根城の築城にあたり石垣用に運び出されたようです。
彦根城を見る目が変わりますね。
OIP

約700年間、法灯ゆらぎ、堂塔48宇余と言われ繁栄を極めた敏満寺は
宝物の一部を残して幻の寺跡となってしまいました。
多賀SAに一部残っているようです。
OIPSA

桜の時期や紅葉の時期に胡宮神社に行くと地元の保存会の皆さんが
いるので詳しいお話が聞けますよ。