おはようございます。
さくらです。


今日も敏満寺の歴史のお話。
奈良時代(710~794)に聖武天皇が百済から伝承した
仏教を国家鎮護の中心として奈良に大仏建立したのは
皆さんご存じのお話だと思うのですが、
大仏完成直前に、大仏の前で行われる千灯法会の料田として
水沼荘(大字敏満寺内の田園約30町歩)が天平勝宝3年(751)
に東大寺に寄進され、水沼荘は東大寺の荘園になり、
その荘園図は正倉院に収納されてるみたいです。
荘園図に描かれている水沼池は現在の大門池で、
滋賀県で2番目に古い池だそうです。
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左の池が大門池
 
水沼荘が東大寺の荘園になってから長徳4年(998)頃まで
東大寺との関係が続いて、その間に敏満寺が創建(859~889)され、
より東大寺との関係が長く保たれたようです。
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源平合戦で平重衡の兵火で東大寺が消失してしまい、その再建のための
協力を俊乗坊重源が敏満寺に求め、それに応じた敏満寺に仏舎利を納めた
金銅五輪塔を寄進して謝意を表したそうです。
レプリカですが胡宮神社にあります。
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どうです?私の住む敏満寺に少し興味出てきました?
胡宮神社には他にも色々お話したいことがあるので
また追々。