おはようございます。
さくらです。
昨日のコトブキ市で出会った近江鉄道の
「近江鉄道みらいファクトリー」の
事務局長さんが産経新聞の地域ニュースに
定期的にコラムを書いているということで…
探してみたら先週多賀大社前駅の事が載ってました。
昔は国鉄へ貨物つなぐ要衝だったとか。
駅の歴史は古いですね。
大正3年に多賀駅として開業したんですね。
最初は多賀大社への参拝客の移動手段としての役割だけだったのが、
昭和35年に旧住友セメント多賀工場のセメント原石を輸送するために
駅構内から分岐する側線が設置されたんだって。
今のダイニック滋賀工場のところまで伸びていたそう!
そこでセメント原石を積んで彦根駅まで輸送して
国鉄貨物に引き継いでいたそう。その後昭和49年に
キリンビール滋賀工場のビール輸送が開始するのに
貨物の入れ替えがしやすいように駅舎を東寄りに
新築して側線と留置線が作られたんだって。
ビール輸送の側線は電化されなかったので
ディーゼル機関車で運んでいたそう。
その後時代は自動車の貨物輸送が主流になってきて
両方の輸送がなくなり側線は撤去されてしまった
という歴史背景があったとは…
再び旅客専用駅になった多賀駅は平成10年に
「多賀大社前駅」に改称されました。
多賀大社前駅。何かの取材があったときの写真かな。
さくらです。
昨日のコトブキ市で出会った近江鉄道の
「近江鉄道みらいファクトリー」の
事務局長さんが産経新聞の地域ニュースに
定期的にコラムを書いているということで…
探してみたら先週多賀大社前駅の事が載ってました。
昔は国鉄へ貨物つなぐ要衝だったとか。
駅の歴史は古いですね。
大正3年に多賀駅として開業したんですね。
最初は多賀大社への参拝客の移動手段としての役割だけだったのが、
昭和35年に旧住友セメント多賀工場のセメント原石を輸送するために
駅構内から分岐する側線が設置されたんだって。
今のダイニック滋賀工場のところまで伸びていたそう!
そこでセメント原石を積んで彦根駅まで輸送して
国鉄貨物に引き継いでいたそう。その後昭和49年に
キリンビール滋賀工場のビール輸送が開始するのに
貨物の入れ替えがしやすいように駅舎を東寄りに
新築して側線と留置線が作られたんだって。
ビール輸送の側線は電化されなかったので
ディーゼル機関車で運んでいたそう。
その後時代は自動車の貨物輸送が主流になってきて
両方の輸送がなくなり側線は撤去されてしまった
という歴史背景があったとは…
再び旅客専用駅になった多賀駅は平成10年に
「多賀大社前駅」に改称されました。
多賀大社前駅。何かの取材があったときの写真かな。